宇宙塾 卒業作文「コスミック・ラブレター1」
2011/12/02
Aki
私は、途中参加であるので、もちろん、今回の45期、46期の卒業には、ご一緒しないが、卒業作文は、毎回、書くつもりでいる。なぜならば、これは、宇宙塾総長の矢追先生(勝手に総長にしてます)に対するラブレターのようなものだと捉えているので、何と、3回も書けると思ったら、とても嬉しく感じ始めて、やる気満々となった。
1、幼少よりの憧れ
私は幼少の頃より、なぜだかUFOや宇宙人やミステリーに関することが大好きな子どもだった。しかし、そんなことは、表立って話すこともなかった。ずっと心に思い続けていて、そのような番組があると必ず見るようにしていたので、もちろん矢追先生の番組もずっと見ていた。そのうちにそれらの情報に関するVTR等が発売されるようになったが、まだ、買える程ではなかったので、丁度、レンタルビデオが始まった頃に、そのようなビデオを借りてだいぶ視聴した。また、雑誌『ムー』なども楽しく読むこともあった。
実際の活動は、幼少よりやっていたダンスの即興やインスピレーション(自分が簡単に出来るのに、なぜ他の人には簡単でないのか)に興味を持つようになったが、その不思議な現象がどこから来るのかを明快に答えているものがないため、今にして思えば、怖いもの知らずというか、ヨガ・気功(日本、中国)・鎮魂などで、トランス状態や不思議を体験することが出来た。結果、私の師事した数名の先生方が殆ど他界したのだが、その亡くなり方に疑問を持ち、また、親族にも気功をしていて、精神不安になる者が出てきた結果、私もそれまでに会得した技を封印して、元のダンス界で教えることで、只の見える世界の事に携わることにして、20年以上を経た。
2、封印から覚めて
それまで、知っていたが、前述のような封印のために躊躇していた宇宙塾に、急遽参加することができた。これが、まさに「出来た」という感じなのである。上手くは言えない感覚なのだが、それは賭けのようなものだった、宇宙塾に参加できなかったら、まだ封印が続くはずであったが、封印を解いたためか、最初はハイな状態で少々困った感じもした。
宇宙塾の講義も知っている事もあったが、特に新鮮だったのは、それまで難解だと思っていた量子論に対しての講義であった。「人間が見ると発生する」という因果律と共に、だから何もしなければ、発生しないし、また、陽子、電子の中味も殆どが存在しない質量であり、本来は「空」であるということも分かりやすく(他説で申し訳ないが、T氏の「空」の説明よりずっと分かりやすかった)、それだからこそ、人間の意思の力、思い、ビジョン、臨場感などが優位であるということが頷けた。
3、「洗心」へ
宇宙塾で講義とともに、そのあとの懇親会を経て、気さくなその矢追先生のお人柄にふれ、学ぶことが沢山あった。あり過ぎるのかもしれない。
この懇親会が実際は、学びの場であるのは、そのあり方が一番わかるからかもしれない。よく会合にありがちな上下関係や変な仕切りがないことが、この自然さが難しいのだと思う。まさに、在るがまま、在ることが難しいというのが、「在り難い」の語源であるが、「ありがたい」を実感させられる。
もっと重要に思ったことは、「さて、それらの真実を知って、貴方はどうするのか」ということである。あー、これほど、深い命題を突きつけられるとは思ってもいなかった。そう簡単には、答えはでない。だが、この命題を持つようになってから、1で述べた幼少から興味を持ち続けたUFOやらは、思考を変えるためのツールであるとしっかり認識できるようになった。また、下手なゴシップにもスルーできるような気持ちを維持出来ていることが一番の収穫であったと思う。
宇宙塾でのこれらを総合してみたときに、「自然に謙虚にならざる負えない」と、矢追先生に申し上げたところ、「それは嬉しい」とおっしゃって頂いた時、「洗心」という言葉が思い浮かんだ。「洗心」と一言でいうが、あれもこれもと分析的に自分の心の部分を洗っていくのではなく、洗心するという大きな抽象的な塊の中に自分をいれ込む、洗心の状態にあるような感じなのではないかと思った。
このような宇宙塾をリーズナブルな値段でしかも分かりやすく開催してくださっている矢追先生やその他 小川氏をはじめとするスタッフに深く感謝申し上げます。
以上
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