宇宙塾 卒業作文「コスミック・ラブレター2」

宇宙塾 卒業作文「コスミック・ラブレター2」

2011/12/09

Aki

1 内向きの顔と外向きの顔

今、宇宙塾でマスターしているのは、SEヒーリングであるが、とてもそのヒーリングの立脚するところのアイデアが興味深い。

宇宙空間では、本来自分の都合良く考えてイメージを使ってヒーリングしていい。だから、相手が自分治すのを手伝っているだけで、自分はパイプなのでやればやるほど自分も良くなるし、自分のエネルギーでなく、宇宙空間のエネルギーにアクセスしているから、無限であり自分が感じイメージすることが出来れば、現実になる。それまでにイメージやイマジネーションを使う技は幾つか見てきたが、ここが「似て非なるもの」なのだ。つまり、使えば使うほど、従来のヒーリングは自分のエネルギーを消耗し、自分が強ければ自分の関係者に何かしらの厄を被るなどということは微塵もない。やればやるほど自分も良くなるし、自分がイメージできないことが限界となる

SEヒーリングでは、この現世は浮世であり、我々は人生を楽しみ遊びに来ているのだから、周りとの摩擦を考えるならば、適当に相手にあわせて、陰徳を積むほうがいいという考えである。ここで、既存の宗教ならば、相手に誠実であるがあまり嘘は良くないとばかりに、相手に無理やり強いることがあり、その規則や概念と現実活動の狭間で、結構大変なことになる。

エネルギー源が宇宙空間であるから、「人間が作った宗教なんて、ララーラ、ラララー、ラァーラ」なのであろう。自分自身がこの現世で刷り込んでしまった善悪の知識や判断を捨てて、もう宇宙バージョンに戻り始めている自分を見つけた。

 

2 奴隷からの脱却

「我々は檻に囲われた豚と同じである。」という矢追先生の解説がとても最初は嫌だった。この311(3月11日の東日本大震災)を堺にして今も尚、福島原発からの放射能は垂れ流し状態の現在、正にヒットラーがいった東方の(放射能に対する人体DNA)実験場にいる「奴隷」である自分たちのことなど、冷静に真面目に考えれば考えるほど鬱になる。実際に日本のみならず、世界でも不可解なことが沢山起きている現状だ。こうなってくると報道された事件、事故のニュースと実際の内容は異なっているのではないかと、いつも深読みしてしまう。ニューワールドオーダー(NWO)を理解出来る者ならば、それはどんな逃れられない過酷な未来が待っているのかと、悲観的にもなろう。

しかし、今まで本来人間が持っていた能力であるが使えなくなっていた部分を取り除き、意思や思いの力を思いのまま使うことを様々なツール(ヨガの瞑想、気功、鎮魂術など、また、現代的プログラムあればNLP、リモート・ビューイング、ジーニアスコード、フォトリーディング、自己啓発プログラム等)で教えられて頭で分かっていたはずだが、その能力を使うことを躊躇していた部分があった。

「自信をもって、自分が神の如くあれ」と宇宙塾でも、SEヒーリングでその方法を勘弁な方法で習得したので、どの位使えこなせるか、自分でも気になるところだが、本来私は得意なはずだ・・・。

如何にSEヒーリングを日常化させて、自分の生活に上手く溶け込ませるかだと思った。

 

3 「タブー」をつくらない

宇宙塾でしばらく矢追先生とご一緒して、様々な時間と場を共有するうちに、自分が過去に習得した技が、実は偏っていたのではないかと思うようになった。いや、技が偏るというよりは、宗教的な洗脳から「タブー」を作り、それらを幾つか知って自分とのバランスをとることが修行であり経験を積んで「魔」を避けることが大事であるように、過去の私は理解していたのではないか、と思うようになった。だから、招霊や降霊のようなことは「タブー」であり、それらは「魔」に関連するので関わらないようにしてきた。

だが、「タブー」はなかったのだ。確かに今日は、魂の招霊のようなこともやってみた。私は20年前に亡くなった父を呼んでみた。魂は寒くて暗いところに居るようだった。5年間闘病し癌で亡くなったからであろうか。

一昨年に亡くなって、私が最期を看取った叔母の魂を呼んでみた。彼女はそれほど、冷たくもなく、良いところに居るようだった。最期は痴呆でお金をだまし取られたりして、私はそれを取り戻すために彼女に散々付き合ったが、そんなことは気にしてないで、あっという間にあの世に旅立った脳天気な人だったので、そういう世界に行っているのだろう。

最期に、一族の誇りで一番有名な大叔母を呼んでみた。とても、サラサラとして刺激がなく、透明な感じだった。「あっ…、」こんなにも感触が違うのだと驚愕した。最初の父の魂の感触が間違いかもしれないと思い、最期に再度、呼んでみたが、やはり、最初と同じように冷たかった。「あーあ、」と思わずため息を付いたが、矢追先生がその魂がもし冷たければ、暖めてあげて良いところに送ってあげなさいといったので、それを試してみた。あっという間に何となく暖かくなったので、上方にその魂を放してあげた。

「これが本当の供養だよ。」と矢追先生の言葉に私は強く頷いた。

 

以上

矢追先生が、このようなラブレターを10回書いても良いというので、頭に乗って多分書き続けると思います。毎回、良い振り返りと記録になりそうで、楽しみです。後からみると誤字脱字も気づかないところがあり、恥ずかしいですが、次回も書きますので、よろしくお願いいたします。

コメント